心理臨床オフィスポーポのブログ

大阪・上本町のカウンセリング専門機関です。

“ない”がある

 

 昨年の9月いっぱいで閉館したテアトル梅田の現在です。

 

 写真がうまくないのですが、空洞になったまま、今もそこにあります。

 テアトル梅田の閉館については、以前に『消えるものは消えるのか』という記事を書きましたが、その灯は消えたものの、消えたものとしてそこに存在しているということです。

 

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 梅田という繁華街の中に、このような空洞があるというのは考えてみれば面白いものです。覗き込んではそこにあった姿が心に浮かび、そこにいたであろう人が幻影のように蘇り、出会った映画、ハプニング、様々な物事が私の周りを包み込むようです。

 こういった、自分の中にある体験やその記憶、なかったかもしれない出来事、空想、ファンタジー、それに付随する感情などを投げ込める場所として、これほど充実した空虚はないかもしれません。


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 臨床心理学では、心の中に意識の層と無意識の層があると想定することがあります。具体的には、意識して意志を持って発動し認識できる心の機能(意識)の基部に、自分の意図とは関わりなく動いている機能(無意識)があると考えます。

 

 

この図はユング派分析家である河合隼雄が図示した心の姿ですが(河合隼雄(1977)『無意識の構造』より)、生物として持っている本能や勝手に発動する感情、人が集合して生活するにあたって築き共有し、自然にそう振る舞わせるような文化やルールを内面化したものなどをまとめて普遍的無意識と呼び、それとは別に、個別的な体験や性質に基づいて個人にわけ持たれている心の部分があり、自分で自分の心情として認識できるのはその一部であると見るのです。

 人は意外と自分のことを自分でコントロールできないし、必ずしもそうする必要もないという考え方がこの背景にはあります。ただし、その制御できなさが生活を脅かす場合には、意識と無意識のバランスを作り直す必要があります。これが心理療法と呼ばれる営みの一端です。

 つまり、心理療法とは、自分の意識と無意識の関係を捉え直すこと。しかし無意識とは意識できないからこそ無意識なのであるから、それをどこかに映し出し、投げ込む媒体が必要になります。このような媒体の一つとして夢があり(『夢分析について』)、描画があり(『カメラロールを眺めてみよう』)、ロールシャッハ・テストなどの投影法と呼ばれる心理検査があります。

 そう思って先ほどのテアトル梅田の写真を見ると、(あまり写っていませんが)変わらず営業している地上のLOFTと、(半)地下の暗闇とがまるで「意識」と「無意識」のように見えてくるから不思議です。“もうないのだ”という事実を突きつけられる悲しみもありますが、今や様々なものを投げ込むことができる空間となっていて、その空間は私の中で私のものとしてあり続けます。ここに傷つきと癒やしについて考えるヒントが有るようにも思うのです。


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 これは本当にあったこと?