心理臨床オフィスポーポのブログ

大阪・上本町のカウンセリング専門機関です。

夢分析について

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 当オフィスでお引き受けできることの一つとして、「夢分析」というものを挙げています。ここでいう「夢」とは、寝ている間に見る、あの「夢」のことです。

 心理療法において夢を取り扱うということについては、馴染みがある方とそうでない方がおられるのではないかと思います。


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 古来から夢は心を癒やすものとして捉えられ、古代ギリシャでは病者が神殿に籠もって眠り、治療的な夢の到来を待ったといいます。日本でも、聖徳太子の夢殿参籠や、「今昔物語」に伝わる長谷寺のわらしべ長者の話などがあり、現実的な生活と夢との距離がそう遠くはなかったことが伺えます。


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 近代的な心理療法に夢を取り入れたのはフロイトです。フロイトの名前は、心理療法や臨床心理学、精神医学などについて学ぶと必ず触れることになります。

   フロイトは現在行われている心理療法の祖としていくつもの業績を残していますが、心理療法という枠組を越えて、多くのフィールドで人間を捉えるためのフレームワークを変えるほどの影響を与えたのは、「無意識」の存在を理論化したことでしょう。


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   多くの場合、人間は、ああしようこうしようと意識的に意図して行動を起こします。また、何気なくやった行動も、理由を聞かれれば答えられることがほとんどです。基本的には、やりたいこと・やらなくてはならないことをやるし、やってはいけない(と思っている)ことはやらないようにする。それが成熟した人間の行動原理であると、一般的には考えられています。

   ところが人間は、“うっかり”思ってもいないことをすることがあります。楽しみにしていたお出かけに、集合時間を勘違いしていて遅刻する。大事なメールの宛先を間違えて交渉が潰れてしまう。事の大小はさまざまでしょうが、身に覚えのある人も多い現象だと思います。

   なぜこういうことが起きるのか。これを説明しようとしたのがフロイトであり、そのために持ち出された心の装置が、「無意識」なのです。


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   友人とのお出かけはとても楽しみだし、メールのやり取りを重ねてプロジェクトを成功させたい。意識の上ではこう思っているわけですが、実は心の深いところでは別のことを望んでいる。例えば、“プロジェクトが成功すれば忙しくなるし昇進してしまうし責任が重くなる。そうやって事が進んでいく準備が自分にはない…。でもこんなこと人に言えないし、毎日の仕事はそれでもやってくるから立ち止まることもできない”。そこで心と生活を守るために、「ストップをかけたい」気持ちを心の奥底に、自分でも気づかないうちに押し込めてしまうのです。

    このような、形になる前の願望や欲望や体験世界が貯まっているのが「無意識」という心の領域だとされていて、そこに押し込められた欲望が、意図せぬ形で顔を出すのが“うっかりミス” だというのが、フロイトの説明です。心理的な症状も、“電車に安心して乗りたいのに乗ると不安が襲ってくるから乗ることができない”というように、「望んでいることができない」「望んでいることと違うようにしか動けない」ということが根っこにはあるので、“うっかりミス”と同様の機序があるのではないか、と考えるのです。


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    自分の意図しないことが自分の身に起こる。その源は自分の中にある。要は、自分の中に、自分でもよく分からないものが蠢いているというわけで、これはとても不気味なことです。人間が生きるということにまるでエアポケットのように含まれている、不条理やねじれといったものであるとも言えますが、そういったものに安全にゆっくりと触れていくために用いられるのが夢分析です。


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 夢というのは、見たいと思っても見られず、別に見たいと思ってもいないのに勝手に見させられるものです。内容も、「なんで?どういうこと?」というものがあちらから勝手にやってきますよね。これはまるで心理的な症状や生きる上での困難のようです。

    ですが、夢そのものは他の人とは決して共有できず、それは紛れもなくその人だけのものです。つまり外からやってくるようで、その人の内側から湧き上がっているものでもあるのです。つまり、「無意識」(の内容物)がそこで体験されているとも考えられるのです。

(このような夢の特徴については、河合隼雄が名著『イメージの心理学』(青土社)の中で「イメージの自律性」として論じていますので、ご興味のある方は是非!読んでみてください。)

    夢を記録してそれについて人と話をするというのは、バカバカしいことのように見えるかもしれません。しかし人に話して聞かせたくなるような、鮮烈な夢見体験をしたことのある人も多いだろうと思います( だからこそ、「他人の夢の話ほどつまらんものはない」というあるあるネタができるわけです)。 夢に触れるというのは、自分を強烈に動かしながらも正体の見えないものについて、それにやられっぱなしにならないための、すくい上げるべきものはすくい上げ、放っておいてもいいものは放っておけばいいのだと確実に実感するための、生きる上での大切な試みなのです。自分のことは自分でも分からない部分があると実感し、それに安住できることが大事なのです。


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   このような考えから、当オフィスでは、見た夢を記録してそれを持ってきていただく夢分析を行っています。時間がかかることもありますが、着実に効果ーー何を「効果」と呼ぶのかという難題もありますがーーを上げられる手法でもあります。

    と言いましても、状況によっては、来談されたタイミングでそれを行うことがよいとも限りませんから、まずはお話を伺って、導入するかどうかの判断をしています。ご希望があれば申し出ていただければと思いますが、その場合も、ご一緒に相談して、どう進めるかを決めることを大切にしています。


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「人に言えない 夢を見た」

これは伊集院光のラジオ番組「伊集院光とらじおと」の1コーナー、「伊集院光とらじおと自由律俳句」(8/14放送分)で紹介されていたものです。このコーナーは、リスナーがいわゆる自由律俳句を投稿するものですが、冒頭の作品は「そう、そう!」と思い、思わずメモを取りました。これもまた、夢のひとつの境地ですね。


(「伊集院光とらじおと」は他にも面白いコーナーが多いのですが、残念ながら関西では放送されていません。聴取には有料サービス・ラジコプレミアムへの加入が必要です。)